夢とビジネスの間で学んだもの
平成27年度 特別講演「夢とビジネスの間で学んだもの」
〈単独世界一周〉を三度実現した男が語る、創造的生き方。
丘の冒険/海の冒険
ヨットでの世界一周を3回達成した。一人(シングルハンド)で何処にも寄らずの航海、26歳での達成は最年少記録、バス1台ほどの大きさのヨットに、水、食料を積み込んでの単独航海だ。
ところで、ヨットはいくらするか? 新造艇で今は、3億2,000万円、これはハードだけ、チームとなると1年ほどの人件費を加え、6億円くらい必要になる。夢に加え、腕、そして資金が必要だ。「私たちの企画書には儲け話はひとつも書いてない」、「1,000万資金を出して下さい、1,200万でお返しします」ということはなく、「死んだらごめんなさい」のハイリスクノーリターン、それで億の資金を集めなければならない。
あの、コロンブスがそう、イタリアでは資金が集まらず、スペインの女王陛下の支援を得て船を作ることができた。
スタートラインに立てれば8割成功、そして風だけの力で地球を回る。丘の冒険/海の冒険…両方ができないと達成できない。単独世界一周に成功した人材は、これまで200人くらいしかいないそうで、宇宙飛行士の数より少ないと言う。
師匠 多田 雄幸さんに入門
父親は生命保険会社サラリーマン、都営住宅生まれの僕がなぜヨットで世界一周なのか? 実は、鎌倉に引っ越し、海を見て、ただ、「わあ、すごい、海ってでかい」と圧倒された。「海の先には何があるんだろう、本当にアメリカがあるのだろうか、丸い地球をめぐり戻れるのだろうか、大きくなったら、この目で確かめよう」と決めた。水産高校に進み、機関士の資格を取得した。ちょうどその頃、多田さん(多田雄幸:世界一周ヨットレース“アラウンド・アローン クラスⅡ”に、手作りのヨットで出場し優勝した)の快挙がニュースとなった。多田さんの著書を読み驚いた。新潟県長岡出身、ヨットを始めたのが38歳、職業は、個人クシーの運転手。当時、ヨットは石原裕次郎さんのような有名人、お金持ちのものだとのイメージだったが、自分でもできると思えた。何十回も電話をかけ、多田さんに会っていただき、高校1年生、話を聞かせていただき、弟子にしてくれるよう、ヨットに乗せていただけるようお願いした。
唯一 己(おのれ)しかない 情熱だけは負けない
師匠から手取り足取りヨットについて教わることはなかったが、師匠がオーストラリアで亡くなった折には遺体、ヨットの引き取りに走りまわった。結果、レースはリタイアしたので、関係者、後援者への説明にまわる。ボロボロになっていたヨットを引き取り、GPSひとつを頼りにシドニーから日本までセーリングした。あわただしい中、亡き師匠には3つの約束を誓った。① 思い半ばのリタイアに対し自分が汚名を晴らす、② 設計ミスが明らかな船を直す、③ 僕が世界を回ると。
知り合いの伊豆の造船所に係留させていただき、船を直し、最年少記録での世界一周達成を目指す。
技能と忍耐への集中
松崎の造船所の親方に土下座してお願いした。世界一周には船を直さなければならない、おカネは無い、タダで直して欲しいと。親方は、「工具、材料は持ってゆけ、住み込んで自分で船を直せ、飯はおれの家で食え」と言ってくれた。やがて松崎の人達の知るところとなり、少しずつ応援の輪が出来始めた。東京の出版社の人脈でも支援の会が開催されたり、資金提供者が出てきた。セールに250万、あと、水や食料など、500万の資金ができて出航できた。ところが、舵が壊れ、小笠原で修理して引き返し、今度はと出た2回目はグアムでマストが壊れ引き返すはめになった。最初はともかく、2回の失敗は相当落ち込む。つらいのは、私はともかく、関係者が謝るのを目の当たりにすることだった。
己を捨てる
頑張ればできるというそれまでが失敗、何が変わったのか?
頑張ればできるというのは、結局、己の見たいものを見ていた気がする。世界一周したい目で見ていた。
海はしかし、人間が作り出したものではない。天地自然は人間が作り出したものではない。
そういうものなのだ。良いも悪いも無い、高く上がった水は落ちてくる。津波とはそういうものだ。
楽観も悲観も無い。己を捨てなければ自然とはまともにつきあえない。それがわかったような気がする。
素直に自然と向き合うことができるようになって世界一周ができたように思います。
次の目標は、来年11月 単独無寄港 世界一周レース「ヴァンデ・グローブ(Vandée Globe)」になる。また、皆さんに報告できるよう、愉快に挑戦したい。
*文責:要旨は事務局による要約です。